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Another World 1976

[2012年03月06日]

Another Worldについては拙ブログでも何回かチョコチョコと書いているのだけど、小田急線の成城学園前に1976年から2年弱ほど営業していた小箱ディスコだった。
経営は六本木Afro-Rake(資料ページ:Disco Time machine様)の社長でもあったマリオ山口氏(後に、サロンドクリスティーをOpenされたので、そちらで氏をご存じの方も多いようです)で、このAnother Worldも、70年代半ば、六本木にあったRufusを含めた幾つかの小箱店と同じく、Afro-Rakeのチェーン店としての位置付けだった。

Another Worldは小箱とは言え、ミュージシャンであるマリオさんの店だったのでステージもあって、76年のオープンから箱バンとして"BIB"というバンドが出ていた。このバンドは後に、池袋にあったADAMS APPLEにも出ていたのでご存じの方も多いと思う。
六本木にもAnother Worldがあったが、それは、この成城店が閉店してからの短期間、マリオさんが営業していた箱だった。

成城のAnother Worldに話を戻すと、76年のオープン時にスタッフとして集まったのは、六本木Afro-Rakeから移動してきた従業員が多数で、私のように他のディスコから来た者が数人だったと思う。
青山〜麻布のXANADU(70年代の同名店とは別)を経営、最近も復活イベントを精力的に開催している澤村進氏(on Facebook)や、70年代最後にSurfer Discoという文化を確立したXANADUや大阪梅田マハラジャなどの店長をつとめたマイケル池田氏も六本木Afro-Rakeからの移動組でAnother Worldの従業員となり、私のように新宿のBlack系 Discoから(と言っても、当時はBlack系以外のDiscoって皆無だったが)移ってきた者にとっては非常に新鮮な同僚達、また環境だった。

anotherworld1976.jpg

紅顔の美少年とは言い難く・・誠に恐縮だが、1976年、Another Worldで勤務中のの私。どっちかっていうと、パーマ強くかけ過ぎちゃったオバサンのように見えるが、この時、21歳だった。(__;)
76年といえば、Disco業界が世界的に始動してから数年を経て、日本でも都市部を中心にあちこちに増え始めてはいたが、70年代後期から起こることになる大爆発は、まだまだイメージできなかった時代だ(Saturday Night Feverの登場も78年だったので)。
Disco DJの在り方も「喋りながら曲をかける人」という概念で、Mixする人、コスる人ではなかった。

タンテはベルトドライブで立ち上がりが鈍いし、Mixerはタンテ同様、DJに特化しておらず、クロスフェーダーが付いていないし(というか存在しなかったと思う)、チャンネル・フェーダー(縦)も、LRの2本を上げ下げしていた。
当時は緻密にMixはしないが、とにかく喋るので、縦フェーダーの上げ下げは頻用した。その時に2本動かすのが面倒なので、割り箸を切って2つのツマミを挟んで輪ゴムで止めたり、今思うと情けないことをやっていたものだ。m(__;)

そして、画像を見てお気づきかなと思うが、「座っている」のである。
これは以前に、DJ末廣が、やはり、Disco DJの古い画像を見て指摘したことがあって、その時、私も「あぁ、そうだったなぁ!」とあらためて思った次第なのだが、当時のDJは座ってやるところがほとんどだった。
このAnother Worldが小箱で、今で言うSOUL BARっぽい部分もあったので、和気あいあい(^^)/と座ってやっていたわけではない。私もこのAnother Worldの前に5店舗ほど中〜大箱でやっていたし、Another Worldのあと、新宿に戻ってチェスターバリー、ミルキーウェイ、ビッグトゥギャザー、ブラックシープなどなど大箱を渡り歩いたが、全て、座ってDJをやっていた。もちろん、私だけでなく皆がそうだった。記憶の中では、79年くらいに赤坂シンデレラがOpenして入店したときも・・やっぱり、座ってたな(__;)
だいたいからして、DJブースの高さ自体が、立ってやるようには作られてなかったのである。
どうでもいいことかも知れないが、DJをやっておられる方にはピンと来るはずだ。
DJの在り方の変遷がフィジカルに現れているのだ。

またまた、話をAnother Worldに戻そう。マリオさんはニッポン放送でラジオ番組をスポンサーしていて、Afro-Rakeでは糸居五郎さんがDJの「SOUL FREAK」を、Another Worldでは当時、ほとんど無名だった小林克也さんを起用して「Soul Information 76」という番組を提供していた。
記憶が曖昧なのだが、この頃、マリオさんは「Soul Information」という名前で会社を立ち上げていたのか?とにかく、この「Soul Information」という名前を各メディアで露出していた。
もちろん、ロゴもあって、そのステッカーが上の画像の左上の箱に貼ってあるもので、見えにくいと思うがBlack PowerのゲンコツがSOULカラー(赤黒緑)を握っている図柄だ。
このステッカーは当時、かなり流行って、一時は暴走族の皆さんも車やバイクに貼っている人が多かったようだ。

などなど、とりとめもなく・・

今後も思い出したときに、この店のことは書かせてもらいたいとは思うが、その理由のひとつに、ディスコ文化の歴史において、マリオ山口という人の存在があまりにも埋もれてしまっているように感じられるからだ。
「ディスコ元年」といわれる74年のAfro-Rakeの立ち上げなどをはじめとして、日本のディスコ文化に氏が残した功績はもっともっと語られるべきだと思う。

「テリー、お前、おれんところでやってたDJなんだから、もっと踊らせるDJやらなきゃダメだぞ」

マリオさんが亡くなる一週間前に、夜通し飲んだときに言われた言葉である。

マリオさん、相変わらず出来の悪い弟子ですみません(笑


by Terry | ページのTOPへ | コメント (4)

今夜の1曲 〜 3月のイベント参加

[2012年03月02日]

年も3月に入りましたね。

2012年はどんな年になるんだろう?
そう思ってたのも束の間・・早くも6分の1が過ぎてしまったぁ・・(__;)

って、この(__;)も毎年毎年・・もう57回やってるんだから、いい加減に慣れろよってもんだけどね。

って(再)、慣れるどころか、月日の過ぎるのがドンドン早くなってる感マンサイの今日この頃であります。

石原慎太郎氏が著書のなかで「"年齢と年月の速さの関係"は、"河の流れと岸を歩く人間との関係"に似ている」と書いているそうです。

河の流れは以前と変わっていないのに、河岸を歩く自分の速度が年齢とともに遅くなるので、結果して河の流れが速くなったように(相対的に)感じてしまう・・。
石原氏も誰かに聞いた言葉なんだそうですが、例えとしては納得できますね。

でも・・

じゃ、なにかい?
年取っても、歩くの遅くならなきゃ、月日の経つのも早くならないってのかい?

って・・そういうツッコミはやめておいて・・

精神的な歩みという意味で言えば、毎日毎日を新鮮にイキイキと歩んでいれば、時間という流れに置いていかれないのかもしれないね。

「今夜の一曲」は・・って、昨晩の一曲も書いてないし、明晩の一曲も書かないだろうけど・・

"Cause We've Ended As Lovers" by Jeff Beck feat. Tal Wilkenfeld

このLiveの時(2007年)Jeffは63歳、Talが21歳。

今夜は時を越えた名曲に身を委ねよう。

 


月に参加させていただくイベントです。

3/10(土):本気でマイケル @六本木 SSB
3/16(金):FUNKATAKK @青山 Moments
3/19(月):MC NIGHT @横浜 Groovy
3/23(金):STARCHILD @吉祥寺 Star Pine's Cafe

ご都合の良い皆様、ご来場をお待ちしています!


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